いま『発酵の技法』(サンダー・エリックス・キャッツ著)という本を読んでいる。分厚い。ほぼ鈍器。だけど面白い。その冒頭にこんな一節がある。

地球上に存在する生き物は、その食物を通じて環境と密接に対話している。しかし、技術の発展した現代社会に生きる人類の場合、この結びつきはほとんど断たれてしまった。

これがずっと頭に残っている。今日はこの「断たれてしまった結びつき」について、最近考えていることをつらつらと書いてみる。誰かを責めたい訳じゃなくて、ただの独り言。

食べ物の作り方は、静かに変わってきた

スーパーに並んでいる食べ物は、どれも「資本主義のふるい」を通り抜けてきたものだ。商品には必ず値下げの圧力がかかる。少しでも安く、少しでも早く、少しでもたくさん。その圧力の下で、食べ物の作り方は静かに姿を変えてきた。

気になって、いくつか数字を調べてみた。

醤油。昔ながらの本醸造は麹をつくり、もろみを仕込んで、6〜8ヶ月かけて発酵・熟成させる。一方、大豆を塩酸で分解した「アミノ酸液」を混ぜる方式なら最短1ヶ月。戦後の物資不足の時代に広まった方法らしい。

お酢。伝統的な静置発酵は発酵から熟成まで1年前後。工業的な速醸法ならタンクに空気を送り込んで、数時間から3日で完成する。

みりん。本みりんはもち米と米麹と焼酎を仕込んで、数ヶ月かけて糖化・熟成させたもの。「みりん風調味料」は水あめやブドウ糖に酸味料やうま味調味料を混ぜたもので、発酵していない。値段はおよそ半分。

味噌。天然醸造なら四季をひとめぐりする1年仕事。でも30℃に加温すれば2〜3ヶ月で仕上がる。市販の味噌の多くは、流通のためにアルコールを加えたり加熱したりして、麹菌や酵母の働きを止めてから店頭に並ぶ。

。60年以上「物価の優等生」と呼ばれてきた卵。それを支えたのは1坪に150羽という高密度のケージ飼育と、自給率13%の輸入飼料だ。

ハム。一般的な製法では、調味液を注入して「100の肉を110〜150に」増やせるそうだ。すごい技術ではある。

どれも悪意があってそうなった訳じゃないと思う。戦後の食糧難の中で、誰もがお腹いっぱい食べられるようにと工夫を重ねた結果でもある。実際、醤油は今では国内生産の約8割が本醸造に戻っていて、業界が「本来の味」を取り戻そうとしてきた歴史もある。

ただ、時間とコストのかかる工程を省いたとき、そこで失われるものが確かにある。値札はそのことを語ってくれない。

成分表が同じでも、同じ食べ物ではない

「栄養成分が同じなら同じことでしょ」と言われそうだけど、どうもそうではないらしい。

アメリカのNIH(国立衛生研究所)が2019年に行った実験では、カロリーも栄養素もぴったり揃えた「超加工食品の食事」と「未加工の食事」を被験者に自由に食べてもらったところ、超加工食品のほうは1日あたり平均500キロカロリーも多く食べてしまい、2週間で体重が約1kg増えた。成分表の上では同じ食事なのに、体の反応はまるで違う。

食品科学には「フードマトリクス」という考え方がある。食べ物は栄養素の寄せ集めではなく、細胞の構造や微量成分、香りの成分が複雑に絡み合った全体であって、バラバラにして混ぜ直しても元とは別物になる、という話。アーモンドを丸ごと食べるのと、すりつぶして食べるのとでは、吸収されるカロリーすら変わるらしい。

発酵食品も同じ。スタンフォード大学の研究では、発酵食品を日常的に食べたグループは腸内細菌の多様性が増えて、炎症の指標が下がったと報告されている。生きた菌と、発酵の過程で生まれる無数の代謝産物。加熱して菌を止めた製品は、同じ「味噌」という名前でも中身は別物になっているんだと思う。

数値化できる成分は揃えられても、数値化できないものまでは揃えられない。本物と偽物の違いは、たぶんそこにある。

それでも、自分でつくるという選択肢

庭のニワトリが産んだ大きさの違う3つの卵
庭のニワトリが産んだ卵。大きさはバラバラ

資本主義の社会で暮らしている以上、食べ物はお金を出して買うのが基本だ。私もスーパーで買い物をするし、それが悪いとは全く思わない。

ただ幸いなことに、うちには畑があり、ニワトリがいて、ミツバチがいる。

掘りたての新生姜がカゴいっぱいに入っている
掘りたての新生姜
収穫した青パパイヤが箱いっぱいに入っている
収穫した青パパイヤ

畑の野菜は形が不揃いで、市場に出せば値段がつかないようなものばかり。庭の卵は大きさもバラバラ。手間ばかりかかって、経済合理性のかけらもない。

鉄フライパンで焼いている自家製イノシシハムのスライス3枚
猟でとったイノシシでつくった自家製ハム

それでも、自分で仕込んだ味噌の味には毎回驚かされる。大豆と麦と麹と塩だけなのに、なんでこんなに旨いのか。梅干しも、猟でとったイノシシを塩漬けから仕込んだハムも、自分でつくったものは「おいしい」の質が違う。ひいき目もあるだろうけど、時間と微生物が働いた分だけ、ちゃんと味に出ている気がする。

今年もまた、愛媛の伝統的な麦味噌を仕込んだ。麹の回った麦の甘い香りをかいでいると、冒頭の一節を思い出す。食べ物を通じて環境と対話するというのは、こういうことか、と。

おわりに

スーパーで買うな、という話ではない。自分だって買っている。

ただ、何かひとつでも自分の手でつくってみると、食べ物の見え方が変わる。味噌でも梅干しでもぬか漬けでも。時間がかかって、手間がかかって、そのぶん確かにおいしい。あの驚きは、値札のついた食べ物からは得られないものだった。

赤い芽のついた掘りたての新生姜のかたまり

食べることは、環境との対話。その結びつきを、自分の台所で少しだけ結び直す。そんな暮らしをこれからも続けていきたい。


参考にしたもの

  • サンダー・エリックス・キャッツ『発酵の技法』(オライリー・ジャパン)
  • Hall et al. “Ultra-Processed Diets Cause Excess Calorie Intake and Weight Gain” Cell Metabolism (2019)
  • Wastyk et al. “Gut-microbiota-targeted diets modulate human immune status” Cell (2021)
  • 農林水産省「しょうゆの製造法」、日本醤油協会「製法」
  • 農林水産省「食品流通段階別価格形成調査」